2009年10月26日

井上靖 従軍日記見つかる 中国出征から送還までの半年

 小説家、井上靖(1907〜91)が大阪毎日新聞(毎日新聞の前身)に在籍中の1937(昭和12)年から翌年にかけ、日中戦争の体験を書いた従軍日記を、プール学院大学長で独文学者の長男修一さん(68)が遺品の中から見つけた。生前ほとんど従軍体験を語らず、戦争を正面から取り上げた作品も残さなかったが、戦争を書く意志はあったとされるだけに貴重な資料。小さな字でつづられた言葉は、空腹や家族愛など正直な心情に満ちており、頑健で無頼漢という井上の人間像の変更を迫るものだ。

 従軍日記の存在は、一部の研究者らの間でささやかれていたが、井上死去の際に「お棺に入れたかもしれない」との遺族の話もあり、確認されたのは初めて。井上は応召当時、学芸部記者として活躍しており、日記は社員手帳に鉛筆で横書きされていた。

 37年8月25日の「……五階の宿直室でうとうとしてゐると ふみ(妻)から九時頃電話、召集令状。一旦帰宅」で始まる。輜重(しちょう)(輸送)隊に属して中国大陸を行軍中の10月には心身のつらさの吐露が目立ち、11日「河上ニハ屍(しかばね)山ノ様ナリト ソノ水デ炊事シタ 相変ラズ人馬ノ屍臭紛々タリ」、14日「アヽフミ(ふみ)ヨ! 伊豆ノ両親ヨ 幾世(長女)ヨ!」、19日「神様! 一日モ早ク帰シテ下サイ」、24日「フミヨ、今度コソハ参ツタ」、28日「相変ラズ車輪ヲミツメ湯ケ島ノコトヲ考ヘテ歩ク……羊カンデモ汁粉デモ甘イモノガタベタイ」などと書く。

 井上は徐々に体調を崩してかっけになり11月19日には入院が、12月18日には内地送還が決まったとの記述がある。翌38年1月18日には船で門司(福岡県)に着き「ラヂオデ国技館ノ角力(すもう)ニユースヲ聞ク コノ熱狂ハナンダロウ」と、戦地とのギャップに戸惑う。日記は3月7日で終わる。

 日記の全文は、11月7日発売の月刊文芸誌「新潮」12月号に掲載される。【鶴谷真】

 ▽井上文学に詳しい曽根博義・日本大教授(日本近代文学)の話 食べ物や体調の話を正直に書き観察の目が行き届いている。日記とはいえ、はからずも感動的な作品だ。人間を見る目線の低さ、謙虚さが、戦後に絶大な支持を受けた井上文学につながったことが分かる。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091025-00000002-maip-soci


井上文学は大好きでよく読みます。
「新潮」にでるのですね。楽しみにしています。


posted by hoss at 07:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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